英語の先生の話

 中学の時、英語のテストでとんでもなく低い点数を叩き出したことがある。最早、脳死判定が出るとか出ないとかの比喩を用いたって意味がないくらいの点数だ。それは2点。たったの2点だ。中学の英語は僕にとってまさに違う言語だった。それにこれはよくある言い訳だけど、僕は日本人だから日本語を話すなんてことを思って開き直っていた。そんな僕の考えとは裏腹に、母はそんな僕を相当心配していた。母は僕の同級生のお母さん方にどこか良い塾が無いかと調査していたらしい。(これは父に僕が大学生になってから聞いた。)それで教えてもらったのが、ある英語の教室だった。僕は同学年で学区も一緒だった友達とその英語教室に通うことになった。先生に会って、まず言われた言葉はこうだった。「英語の何がわからないのかが、わからないのよね。」僕はなんだかその言葉にすごくすごく安心した気がする。先生は50代で、旦那さんと2人暮らしをしていた。それと結婚して家を出た娘さんが2人居た。先生は娘さん達が読んでいたスラムダンクという漫画が好きだった。僕も先生をきっかけにスラムダンクにハマったくらいだった。そんな先生に僕は中学、高校、大学(大学は一般教養の講義でどうしてもわからない時だけ行かせてもらった。)と英語を教えてもらった。先生はいつも優しい言葉で僕に英語を教えてくれた。僕は社会に出ても時々、先生に話を聞いてもらいに教室に行っていた。先生はそんな時、いつもと同じように接してくれたし、いつもの紅茶とお菓子を出してくれたりした。

 だけど、先生は突然いなくなってしまった。原因は急性の疾患だった。僕が最後に先生から貰ったメッセージは、僕が転職をしたことをメールで伝えた時に頂いた返信だった。僕は泣くとか悲しいとか寂しいとかそんなよくわからない抽象的な想いがただ心の中で溢れていた。涙を流すとかうずくまるとか何をしたかは覚えていない。ただ、先生に届きもしない感謝の言葉をiPhoneのメモ帳に書いた。ここにその文章は残して置きたい。何かがあった時に毎回読み返している文章だし、気持ちを込めて書いた文章を常に書きたいからだ。

 

 先生、ありがとうございました。本当にありがとうございました。何も出来なくておまけに持病まである僕に先生は本当にあたたかい言葉をくださりました。人生は長短じゃなくて、その人にはその人だけの人生の役割があって、それを終えた時に静かに居なくなるって言ってた先生の言葉を思い出します。

 先生の役割はなんだったのでしょうか?僕はまだ自分の役割に気づいていません。それに気づかないまま死ぬことでしょう。先生も気づかないまま天国に行ったのでしょうか。僕は先生が開いていたあの教室が好きでした。当初は塾というのは周りも行っていたから自分も行くことになるだろうと思っていた時に同級生のツテで先生に会いました。そんなに出来のいい生徒にはなれませんでした。それは本当にすみません。ですが、僕は先生に英語以上に先生の言葉を教えてもらった気がします。そしてその言葉を通じて、知れてよかった考え方を教えてもらったと思っています。新卒で入った会社を辞めて、非正規の職になった事をメールした時、先生はいつもと同じように明るい言葉を僕にかけてくださいました。きっと、裏では大丈夫なの?と心配してくださっていたと思います。まさか、「きっと目標とするものがみえてきますよ。」と頂いた一文が先生からの最後のメッセージになろうとは思いませんでした。本当に本当に突然ですね。もっと早く何かで認められて先生にもう一度でいいから会いたい自分が居ます。だからこそ、生きてる今は楽しく自分らしく頑張ろうと思います。挫けそうになったら、その時は先生の言葉とスラムダンクを読み返します。

また先生に言葉を僕は書きます。きっと、何かある度に書く事でしょう。向こうへ行っても、楽しく過ごしてください。本当にありがとうございました。

くだらないことほどよく覚えてる。

 花火のことを少し書いて下書きに保存していた。だけど、なんだかクサイなって思ってしまった。だから、新しくこの文章を書いている。

 よく考えることがある。死んだらどうなるのかということ。意識的に深く深く考えるようになった。なんだかよくわからないけど、中学3年生の時からそれを考えると怖くて不安で泣いてた。しかもその最中で決まって思い出すのは、母方のおじいちゃんのことだった。おじいちゃんは僕にとても優しかった。本当にお母さんには内緒だぞって言ってはウルトラマンのおもちゃを買ってくれた。僕はその当時、ウルトラマンよりも怪獣の方が好きだった。だから、ソフビの人形も怪獣の方を買ってくれた。結局、僕は内緒になんか出来なくて買ってもらった事を母に伝えて、母はおじいちゃんにまた甘やかして!なんて言って怒ってたことを今でも覚えてる。あと、おじいちゃんは面白いことを教えてくれた。お茶はコップに注ぐんじゃなくて、やかんの口から直接飲んだ方が美味しいこととか、4チャンネルの女子アナがどのチャンネルの女子アナよりも可愛いだとか。やかんからの飲み方は母に本気で怒られたのでもうやってないし、そこまでテレビも観なくなってしまったので今ではほとんど役に立ってない。だけど、やっぱり大切なものなんだよなーと素直に思ってしまう。もう会えない人とどうしても会いたくなってしまった時にやることが「思い出す」ってことだ。しかもその思い出した内容がくだらなくて、いや、あまりにもくだらなさすぎて、ちょっと鼻で笑ってしまうくらいのことがジーンときちゃったりする。いつか僕もそんなくだらないことで笑わせていた人になりたいなと思っている。大切な人の記憶があって、それがあるからこそ泣けて、泣けてしょうがないんだろうけど、それがあるから前に進めるんじゃないかと考えています。今日も色々考えちゃって不安になったりもするけど、日々頑張ります。

停滞の曖昧な境界線

 何かがやりたくても、何かを理由にやらない事がある。他人から見たらきっとそれって本当にやりたい事なのって?言われても仕方ないかもしれない。それでも本人は至極真っ当にやりたいと思ってるもんです。ただ、これも言い訳だけど、誘惑が多い。テレビ、マンガ、インターネット……なんかは本当にすぐに1日の大部分を埋めてたりする。いけない、いけないと思って電源のありとあらゆるコードを引っこ抜いてみたりもしてみても、様々な理由をかこつけて気づいたらそれらにどっぷり浸かってしまう。なんとかしたい。息抜きをしすぎて、もうとっくに空気は無くなっていて窒息寸前ではなかろうかと言うくらいダラーっと日々を使っていたりしても、以外とそんな自分が良かったりもする。まったく、贅沢だ。自分を貶すのか擁護するのかすらわからないので今日はここまで。

くだらないと言いながら、人は笑ってる。

 好きなテレビ番組が2つある。「水曜どうでしょう」と「ゴッドタン」。この2番組に共通することは画面の前でくだらないと言いながら笑ってしまうことだ。ゴールデン帯の番組は完全に笑いの種類が違う。完全に見やすくて、家族が「笑顔」になれるそんな作りの番組が多い。けど、この2番組はそういうことじゃないと考えている。友達と呑んだりして、夜更けに解散した後、自宅でテレビをつけたら偶然やっている番組のような気がしてならない。そんな番組に明日も早いけど頑張ろうと励まされる気さえしている。「くだらない」と力なく笑って言う自分に完璧じゃなくて良いから、明日もとりあえず1日、1日でいいから作り笑いして生き延びようと思わせてくれる。おおっぴらに応援されてる気はしない。そんなものは恥ずかしいし、なんか居心地が悪くなってきてしまう。そんな悪さはない。ダラっとした勇気付けの方が僕には案外しっくり来ている。

 

 話は突然に変わるけど、チープトリックの「I want you to want me.」という曲を聴いた時、映画「スティング」の映像が頭に浮かんだ。ザラついた画質が僕に何かを投げかけていた。そんなことで僕の休日ももうじき終わりだ。

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 書きたい事があるのだけれど、うまく文章に出来ない。だけれど、やらなきゃならない。不器用でも作らなきゃならない。あの頃と今でも動きたいのに動けない僕たちに捧げる作品。退屈と忙しさのフリを演じていったりきたりな日々を。どうしようもないとかそんなことは全然なくて、恥ずかしさとかプライドだ云々は捨てて、スネでもなんでも齧って今は。「今は」を強調してみる。ずっとそんな事も言ってられない。焦りよりも明るい何かを持ちたい。

季節とエモさ

 今日も暑いので、夏のことを書こうと思う。

 夏といえば海という人も多いだろう。僕にとって海の思い出は午前2時半の波打際だ。僕がまだ新卒で入った会社で必死に文字通り死にそうになりながら、働いていた時のことだ。週末に夕飯を食べにいこうと高校の時の先輩が誘ってくれた。高校を卒業して大学時代には何度かご飯には行っていたが、社会人になってからはめっきり会わなくなっていた。先輩は土日休みの職ではなかったが、そんなことを気にしていたら予定なんか合わんといって土曜の夜に会った。僕と先輩が食べるものは何も変わっていない。男二人だ。そこはラーメンしかない。ただ、移動手段が歩きか自転車だったのが、先輩が車を手に入れた。ここでラーメン屋のレパートリーがグッと広がったが、結局はとある国道のラーメン屋に入った。(京都系列でドロドロかサラサラのスープが選べる店でわかる人もいるだろう。)僕は恥ずかしながら、お腹が少し弱いので、ドロドロではなくサラサラを注文した。先輩は迷いなくドロドロを選び、餃子と焼き飯のセットAを頼んでいた。ネギ、ニラ、キムチそして杏仁豆腐が小さい小皿に取り放題だった。僕らは小皿から汁やらその具が溢れそうになるくらい小皿に盛り付けてラーメンを待った。ラーメンを待つ間、それとなく今何してるのか?とか今、誰々は何々をしているそうだと言ったありきたりな話をした。そして、ラーメンが来たら先ほど並々に盛ったトッピングをラーメンの上にかけて無心で食べた。食べている間、何も言葉はなかった。ただ、ひたすら啜っていた気がする。二人ともあっという間にラーメンを食べて先輩は鼻をかんで、一言言った。

 「海でも行くか。」

 僕も予定があった訳ではないし、会ったのが少し遅かったので、ラーメン屋を出た時には0時を過ぎていた。明日が来ていた。先輩は何時間後には仕事だったが、そんな事にはお構いもなしという感じだった。とりあえず、そこから一番近い海岸を目指した。そして、ラーメン屋でありきたりな話は底を尽き、車内は沈黙が多かった。そこで先輩は自分のカーステレオのチューニングを弄ってラジオを掛けた。たしか、CBCラジオが中継局となってかかっていたオールナイトニッポンが流れてきた。誰がMCでどんなハガキが読まれてどんな選曲がなされたかなんて事は今では一つも覚えていない。けど、たしかオールナイトニッポンだったはずだ。

 そんな事をしていて、すぐに海岸に着いた。僕たちは真っ暗な海岸を見つめた。暗すぎて波打ち際がぼんやりとしかわからなかった。先輩は海を頃く見て、ボソッと言った。「エモいな。」

 僕は聞こえないフリをしていた。時計は午前2時半だった。

 

 上の文章を書きながら、南沙織の「17才」という曲を思い浮かべたが、あれは恋人たちの歌だ。それにあのバンドからの影響を避けられない。なら、ハッピーエンドの「風をあつめて」は?スチャダラパーの「サマージャム’95」は?どれも名曲はあるけれど、あの時に僕の中でかかっていた曲はくるりの「魔法のじゅうたん」だったことも思い出しました。まさに泣かないで、ピーナッツ。

サイダーにきゅうり

 その昔、とある黒い砂糖水を作るとあるメーカー(あそこか、あそこしかない)が夏季限定のあじとしてきゅうり味の砂糖水を販売したことを唐突に思い出した。色は透き通った緑でよく言えばメロンソーダみたいだった。ただ、味はメロンでもソーダでもなく、炭酸をよく効かしたきゅうりの味だった。正直言って、好き嫌いがはっきり分かれる味だった。飲んで脳内で想像したのはめちゃくちゃ瑞々しいきゅうりがパキッと音を立てて折れるそんなイメージだった。一本飲んで、美味しくはないなと思っていた。が、しかしといいたい程のが、しかしがあった。また飲みたくなっている自分がいた。徐に自販機、スーパーでその商品を探してしまっていた。そんな夏が好きだった。確か中学三年生の時だ。

 この暑さのせいでこんなくだらないことしか思い出せなかった。だけど、普遍的な夏っていいもんです。ちなみに僕の夏のBGMはザ・ハイロウズナンバーガールです。それと思い出としての白いワンピースのあの子のこととか。(なんて書いてこれは寺山修司の短歌からのインスパイアです。)あとは、オタク的なことは夏っぽさがある気がします。オタク的なことなのでオタクの人々からは忌み嫌われそうですが、それを思ったのがジェルミ・クラインというスケートボーダーが作った「Hook ups」というブランドの紹介画像。ストリートファイター春麗みたいなコスプレをしたアジア人が、赤いチェックシャツを着て自転車に乗ってる白人にフライングキックをかましてる物なんですが、雰囲気がたまりません。それになぜだか、僕は強烈に夏の迫りを感じました。