無限と永遠の違いについて

「お前の好きなバンドのアルバム、新しいの出ても全部曲一緒じゃん。」 

ふと、友人からこんなことを言われたのがきっかけで、「無限」と「永遠」の違いについて考えることになった。きっと、そんなものは聴いた人の個人差だと言ってしまえば、それで終わってしまう問題なのかもしれない。けど、僕はその個人差の中にもきっと話したり書かれたりしなければいけないことがあるのでは?と考えた。確かに、僕の好きなそのバンドは一言で言ってしまえば真っ直ぐなのだ。どこまで行っても一本道で突き進む。それは雷雨が来ようとも、嵐が吹こうが、目の前で灼熱と極寒があろうかなかろうが、関係ない。それが良さだ。けど、きっとそれが毎回で聴く人によったら「またかよ。」と思うのだろう。食事で言えばずっと好きな食べ物をずっと食べているのだ。けど、僕は飽きない。飽きるというより、聴けば聴くほど、それを食べれば食べるほどに、そこには何かしら満たされぬ欲望がある。飢餓がある。そこに現れるのは「永遠」だと思う。かつて、アメリカのある詩人が永遠についてこう書いた。「永遠とは、一瞬の積み重ねなのだ。」そこには平均的で一律な物はない。ただ、ずっと続く物がある。それが「永遠」だ。

じゃあ、「無限」はどこにあるのだろう?僕は別にノンポリであるが、それは資本主義の中にあるのだとも考える。ファストフード、コンビニエンス等々。僕は両方とも好きだ。だけど、あそこにあるのは「無限」だ。減ることは今後、ほぼ無いに等しい。そんな物の中にどっぷり浸かる自分も好きだけど、やっぱりそことは一線引く物に憧れてたりもするのだ。いやはや、複雑なのだ。